特攻資料館

 めったに書かない政治の話です。
このニュース記事が書いてあることが事実だとしての話です。

早田選手は帰国の際の記者会見で「したいこと」を問われ、「鹿児島の特攻隊資料館に行って、生きて卓球ができることが当たり前ではないと感じたい」と語った。

この、「生きて卓球ができることが・・・」というくだりは終戦記念日に相応しいコメント
と素直に受け止めた。ご本人の思いなのか誰かが助言したのか、どちらにしてもこのコメ
ント自体に違和感はない。

これに対し、中国共産党機関紙・人民日報系「環球時報」の英語版「グローバルタイムズ」は「神風の操縦士は、日本の右翼活動家の醜さと残酷さを象徴し、第2次世界大戦時の日本軍の侵略を象徴する存在である」と報じた

100歩譲って、当時の日本人の感覚がこの記載どおりであったとしても、現代感覚では
むしろ操縦士は、戦争の、国家の、軍部の「犠牲」であった。というのが大方の見方
じゃないかと思う。

韓国・誠信女子大学のソ・ギョンドク教授は「祖先の犠牲精神を称える意図の発言に見えるが、問題はその資料館が第2次世界大戦時の日本軍自殺特攻隊『神風』を称えるために建てられたものであることだ」

 資料館が『神風』を称えるためのもの、なんてズレた解釈にもほどがありますね。
本当にそうだったとしたら外国から非難される前に、日本国内で袋叩きにされるでしょう。

 戦争という人間が作り出した行いが生む悲劇、言い換えると国家が作り出した悲劇、
軍部が作り出した悲劇に翻弄された多くの若者達、本当は学問やスポーツに青春時代を
費やしたかったであろう若者を記憶に留め後世に伝えることで戦争のない平和な世界を
築かなければならない、というメッセージが資料館の目的だと思う。

 そーいう意味で早田選手の「生きて卓球ができることが当たり前ではないと感じたい
という思いを実感できる相応しい場所だと思うと同時に彼女の素直な思いにエールを
送りたい。

 こんな単純で素直な理解をなぜ外国の一部の新聞や学者はできないのか?
本質より前に、何か別の敵意を感じてしまうのは私だけだろうか!

ちょっとマジメな話でした。
ほな、

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